筆者は昨年の本紙5月21日付第1152号の2面 で、彫刻家田辺光彰氏の彫刻「A seed of wild rice・MOMI-2008」が、ローマに本部を置く国連食糧農業機関(FAO)の建物内にモニュメントとして設置され、作家自身その除幕式に出席したことを紹介した。除幕式は昨年2月26日FAO内の独立機関である国際グローバル作物多様性トラスト(GCDT)とノルウェー政府などの協力で北極圏の凍土に建設された国際遺伝子貯蔵庫のオープンに続いて4月1日に行われた。
 原始の姿を留める野生稲の粒を拡大してシンボリックに表した野生稲=籾の彫刻は、田辺氏の約20年の思索と行動から生み出されたものである。この彫刻が世界の食糧問題を扱う国連機関の建物内に設置されたことは、野生稲の形が地球上の作物の普遍的なシンボルとして受け入れられたことを意味する。
 その後田辺氏はノルウェー北部のスバルバール諸島の一つスピッツベルゲン島に建設された遺伝子貯蔵庫を訪問することを強く願う。この貯蔵庫は、食料の生産性向上や将来の食料危機に備えるために作物の多様性を農業の基本と考えるGCDTが究極の安全策と考え、ノルウェー政府の全額資金援助を得て建設された施設である。貯蔵庫には300万種以上の遺伝子が格納可能であり、密閉された箱を開けるのは当該遺伝子を所有する国の責任者でなければできない。そこで氏は先にローマで既知となったGCDT本部及びノルウェー政府機関を通 して一つの提案を試みる。それは貯蔵庫が建設された場所にもう一つのテーマである野生稲自生地保全の思想を野生稲=籾の彫刻を通 して提案することであった。

 そうしてこの度その提案が受け入れられ、国際遺伝子貯蔵庫完成1周年の2月26日氏はノルウェー政府の招きでその内部に入ることができた。今回は零下4度の貯蔵庫手前の洞窟の壁面 にシンボルとして設置される。そこは「スバルバール・チューブ」といわれる入り口からまっすぐ延びたトンネルのT字路の突き当たり部分で、種子の出入時には必ず人の目が届く場所である。今回の彫刻は長さ120センチで同じくステンレス製、タイトルは「THE SEED 2009 MOMI - IN SITU CONSERVATION」である。つまり遺伝子貯蔵庫に作物の自生地保存という対局にある考えの重要性を対置したわけである。双方の考えが車の両輪となって回らなければ、食料生産も作物の多様性も保障されないと考えるからである。
 さてこの貯蔵庫はGCDTのほかノルディック遺伝子銀行とノルウェー政府が協同で管理運営しているが、計画の発端は20年以上前に遡る。チェルノブイリの原発事故が起こったのが1986年の4月で、そう遠い昔のことではない。いかにもノーベル平和賞を受け持つ国として核に対する現実的な危機管理に驚く。今回田辺氏の彫刻が設置されたことは、アジアの一員として日本人が芸術を通 して貢献したことを意味する。本来は専門分野での貢献が重要であることは言うまでもないが、こうした分野でも専門外からの協力は大いに歓迎されて然るべきではないだろうか。芸術は何も解決できないが、それを見た人は一瞬で全てを了解することが出来るからである。

 
2009年5月1・11日合併号の新美術新聞掲載
 

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