3月1日付「朝日新聞」夕刊によると、去る2月26日国際種子貯蔵庫と称する「植物版『ノアの箱船』」が、ノルウェー北部スバルバール諸島の一つスピッツベルゲン島の海抜130m、岩盤の地下120m深く設置されたという。この貯蔵庫は最大300万種の穀物品種の種子を保存することが可能である。施設自体は国連食料農業機関(FAO)内の独立国際グローバル作物多様性トラスト(GCDT)が音頭を取り、ノルウェー政府の協力も得て、温暖化や生態系の崩壊、食料需給の不均衡など地球環境の危機に対する処方策として建設された。地球が核で汚染されても種子は安全に長期間(200年間)保存されるという考えは、いかにも理を尊ぶ西洋の発想で、豊かな自然に恵まれ情に富む日本人は及びもつかない。実はこの貯蔵庫の完成に合わせて、日本の彫刻家田辺光彰氏(横浜市在住69歳)がFAO(ローマ)に本部があるGCDTにモニュメントを設置することになった。4月1日その除幕式に田辺氏が出席してきたので氏から話を聞きながらその意味を考えた。
スバーバル全地球種子庫全景 写真提供:グローバル作物多様性トラスト(GCDT)


 モニュメントは長さ9mのステンレス製で重さは250kg、タイトルは「A seed of wild rice・MOMI−2008」である。氏は野生稲の自生地保全や生物多様性など、これまで一貫して自然環境に留意しながら記念碑性の強い彫刻作品を制作してきた。何よりも氏は彫刻家として現代のテクノロジーが生んだ最強の素材ステンレス・スチールを、自らもアーク・エア・ガウジングという高度な技術を駆使して野生稲=籾の形として作り出してきた。上越で制作し東京湾から出荷した今回の作品も、シンプルなフォルムとゴツゴツした表面 の堅固な材質感によって記念碑性を強めている。
 ところで稲作技術は渡来文化なので日本で野生稲が発育することはなかったが、小さな粒子に伸びる長い芒が野生稲の特徴である。田辺氏は、この野生稲の形を拡大してシンボリックなフォルムに纏め、個展で発表してきた(1989年、92年)。これらの作品は展覧会終了後、氏の行動力によって国内外の稲作に関係のある場所に設置されていった。それが中国の浙江省博物館やタイ王室、あるいはフィルピンの国際稲研究所(IRRI)などである。そしてこれがきっかけで上述した場所にもっともふさわしいフォルムとスケールを備えたサイト・スペシフィックな作品を設置する結果 に結びついていった。それがタイ国立パトン・タニ稲研究所(97年)、フィリピンのIRRI(94年)、インド農業研究協議会(2002年)に野生稲と野生稲の発芽の瞬間を拡大した作品を実現させた事例であった。しかもタイではモニュメント設置がきっかけとなって、王女自らが主宰者となって野生稲自生地保全のプロジェクトを実現させた。こうした活動の延長上にローマへの道は繋がっていたわけである。
 現実の問題として世界の人口の半分以上がコメを主食としているのに、人口の伸びに対して生産が追いつかない状況にあり、現在も飢餓は増え続け食糧危機は差し迫っている。しかも米の生産国はどこでも農地の頭打ちや水不足、異常気象などで生産量 は伸びていない。日本にしても然りで国内備蓄も少なくなっている。こうした食料の危機的状況は情報として断片的には伝わってくるが、多くの日本人は実感として共有していない。田辺氏の提案は66億人が乗っている地球号の危機に対する警告であり、これは次の問題提起も行っていると考えられる。それは農業や遺伝子、あるいは世界経済や食料事情、環境汚染など、それぞれの分野で専門家による調査研究活動が行われている中に非専門領域の芸術活動が加わることの意味である。どの分野でも専門化が進んで実感が薄くなっている現在、哲学や芸術の果 たす役割はきわめて大きいと思われる。

 
2008年5月21日の新美術新聞掲載
 

前のページに戻る