国際遺伝子貯蔵庫内での一周年記念式典
 撮影:伊藤 修

 
 日本から遠く離れた北極圏。スカンジナビア半島の北西に浮かぶスバルバール諸島の辺境の街、ロングイヤービーエンの永久凍土層。その凍土で覆われた山中内部に、現代版“ノアの方舟”と呼ばれる、巨大な遺伝子=種子貯蔵施設“グローバル・シード・バルト”がある。この施設はノルウェー政府と国連FAO(国連食糧農業機関)、国際機関「グローバル・クロップ・ダイバーシティ・トラスト」が、国際研究所「バイオ・ダイバーシティ」、「ノルディック遺伝子銀行」及び、各国の遺伝子&種子保存・研究機関と協力して建設した。「人類の生存を支えるための、現在の技術で構築し得る、世界で最も強固な国際ジーンバンク」である。

 “グローバル・シード・バルト”が、2009年2月6日に完成1周年を迎えた。順調に作物用種子の収集と保存が開始されていることから、これを世界に報告し、「農業を根底から支える生物多様性」の分野で更なる国際協力を推進するためのメッセージ伝える意味もあって、盛大に記念式典が行なわれた。式典には農業大臣を始めとするノルウェー政府関係者、国連や各国の要人、国際研究機関の代表が多数参列。同時に、本施設に横浜市在住の日本人彫刻家・田辺光彰氏の作品、「THE SEED 2009 / MOMI IN SITU CONSERVATION」が永久展示される事が決定した。田辺氏本人も出席して作品の公開セレモニーが開催された。既に田辺氏の作品は国際的評価を得て世界各地の国際的な農業研究機関に展示され、多くの研究者・見学者の眼に触れている。氏の彫刻家としての業績に加え、農業・環境・食糧についての情熱は広く知られており、今回もノルウェー政府と国際機関「グローバル・クロップ・ダイバーシティ・トラスト」がその実績を高く評価、作品の展示が決定し、氏を式典に招待したのである。
 人類史的な国際施設に日本人彫刻家の作品が置かれるのは画期的な事であり、田辺氏本人の名誉だけでなく、我々も含めた「米食のアジア人共通 の喜び」と考える。作品「THE SEED 2009 / MOMI IN SITU CONSERVATION」(日本語タイトル「種・2009〜野生稲の自生地保全」)は田辺氏が20年間モティーフにして来た「野生稲」をステンレス鋳造で制作した重厚な作品。(重量 7kg、長さ120cm、制作日数2ヶ月)。稲の原種が有する長いノギが印象的で、式典参加者からは、彫刻の発する芸術的インパクトと作品のモティーフに対し賛同と共感が寄せられた。「THE SEED〜MOMI」は、“グローバル・シード・バルト”の最深部にあるVIPスペースの壁に永久展示される唯一の芸術作品。田辺氏は席上でスピーチを行い「農業栽培種を支える野生種の自生地保全=生物多様性の維持と同時に、国際協力による本ジーンバンクの設立は人類にとって極めて重要…」と語り、芸術と科学の融合による「生物多様性の再発見」を強く訴えた。

 2010年は「国際生物多様性年」。この時期に、敢えて厳しい環境下の北極圏の地中に建設された“ノアの方舟”の目的とは何か?そして、生物多様性と遺伝資源の理解に芸術サイドから大きく寄与した、田辺氏の野生稲に懸ける思いと情熱とはいかなるものか? そして、米を主食とし、稲作研究で世界のトップを走る日本人にとって、作品「THE SEED〜MOMI」を受け止める回路とは… 食糧・環境・人口問題の総合的な解決が急務な現在、農業に関わる種子・遺伝資源の保存&利用のシステムを問う事は、私たち日本人の日々の「農と食卓」を問い直す事に繋がり、又、人類の未来を地球レベルで考える行為にもリンクする。極北のジーンバンクと、そこに展示された田辺作品からは、私達が問い続けて来た多くの課題が浮上するのである。ステンレス鋳造の「THESEED〜MOMI」の発信するメッセージを追って、ノルウェーの北極圏・スバルバールを訪ねた。

 
a. グローバル・シード・バルトはどこにあるのか?

 
 スバルバール諸島はノルウェー本土から北西に約1,000km、北極海に浮かぶ。日本からは成田→コペンハーゲン→オスロ→ロングイヤービーエンと空路乗り継いで約20時間の場所。このスバルバール諸島の一つスピッツベルゲン島に「グローバル・シード・バルト」はある。北極圏に位 置する島は永久凍土層に覆われ、気温は常時氷点下。冬季は−20℃以下の日々が続く。極地方だけに夏季は白夜が続き、逆に冬は太陽が昇らない。2月は日中の僅かな時間だけ光が射す薄暗闇の日々。野生の白熊が周囲を徘徊する辺境の地。このスピッツベルゲン島の海抜130mの地点、小高い山腹の永久凍土層を水平に120m以上掘り抜き、緩やかな勾配のトンネル最深部に「世界最北の国際ジーンバンク」は建設された。

b. ジーンバンク=種子の貯蔵庫とは何か?

 現在、多国籍企業の「種子争奪戦」は激しさを増している。なぜなら品種改良の分野では、従来型の交配技術、遺伝子組み換え技術の双方において原種・野生種や在来種が有する遺伝子の多様性が不可欠とされるからだ。多収穫・よい味覚収量 の安定性を始め、病虫害耐性・低温・高温耐性・耐乾燥・耐塩害を含む様々な遺伝的特性が、栽培種だけでなく原種・野生種・非栽培種にも保存されている。だから、先進国・途上国を問わず、各国は自国の重要な栽培植物の種子を野生種にまで広げて収集し、保存する施設を充実し、その研究に力を入れて来た。
 一方で、公的なジーンバンク以外に、民間種子企業やアグリビジネス関連企業も“将来の経営戦略のシーズ”として種子の収集・保存・研究を盛んに進めている。「種を制する者は農業をも制す」とまで言われる。

 
c. 現在のジーンバンクでは不十分?「ノアの方舟」の別名の由来は?

 1986年、旧ソ連で起こった大惨事、チェルノブイリ原発事故はスカンジナビア半島の農業と種子に放射能汚染という未曾有の打撃を与えた。近年にもフィリピンの種子貯蔵施設が豪雨による泥流で壊滅するという事故が起こった。
 今後は、温暖化等の全地球的な気候変動への懸念だけでなく、エネルギー資源の枯渇による発電動力の停止(各国ジーンバンクは化石燃料による電力で維持)天災・戦災による施設破壊、農業在来種の消滅、森林減少や都市開発による野生種の自生地消滅など、多くの予測不可能な事態が想定されている。思い起こされるのは、大洪水の到来を予測し、あらゆる生物の“雌雄一対”を積み込んだとされる伝説…旧約聖書「創世記」に記された有名な挿話を想起されるために、「グローバル・シード・バルト」は、別 名「ノアの方舟」とも呼ばれているのだ。
 “グローバル・シード・バルト”は仮に電力が停止しても低温環境下で種子を保存できる極地の永久凍土層内にあり、厚い岩盤は地球が核の汚染にさらされても200年間の発芽可能条件を維持できる。つまり遺伝子情報のバックアップであり、セーフティーネットでもある。人類にとって、未来は決して悲観的な要素だけではないにしても、「生存への保険」は手厚い方が希望も湧く。各国の指導的な遺伝学者や農学者・政治家達が、本ジーンバンクに対し「将来への不安=予測される危険性」と「人類の希望」の双方を同時に語る心情も理解できる。

d. 種子の収集と利用のシステム

 地球規模の危機や種の絶滅に対する備えとして、グローバル・シード・バルトでは300万種以上の作物の種子を世界中から集める計画。種子のデータは便利なバーコードのデジタル情報だけでなく、読み取り機器の停止も想定して文字シールのアナログ記録も併用。IRRI(フィリピン・国際イネ研究所)は7万種のイネの種子(モミ)を提供、地元ノルディック遺伝子銀行を始め、タイ、スイス、韓国、アメリカ、アフリカ諸国…今現在も各国の施設から次々に種子の入ったコンテナが運び込まれている。収集するのは勿論、イネだけでなく、ムギ・トウモロコシ・イモ・バナナ・雑穀・野菜・果 物・牧草など、農業に関わる種子を全て網羅する。(現段階では全3室の1室を利用して約50万種を収蔵) 貯蔵庫の気温は種子の発芽条件を保障する−18℃の超低温。そして地球に何らかの危機に陥った時、保存していた種子を各国・各地域に供給して栽培を復活させるのだ。 集められた種子はコンテナに封印され、緊急時まで開封厳禁。つまり、作物の遺伝資源が特定の国や企業の利益追求のために勝手に利用されないための厳しいルールが定められている。(もしもの時の「開封」には、種子の提供国の責任ある人物の立会いが必要) 世界の国々が「国際的な種子争奪戦・遺伝子特許戦争」の現状を強く意識し、自国利益の喪失を懸念している。「平時に開封厳禁」のルールは、その不安を取り除く必要があったから。

e. グローバル・シード・バルト〜その設立と運営の主体、バックアップ

 「グローバル・シード・バルト」は地元ノルウェー政府とノルディック遺伝子銀行、及び国際機関の「GLOBAL CROP DIVERSITY TRUST=GCDT=グローバル・クロップ・ダイバーシティ・トラスト」が運営する。GCDTは国連のFAOと国際生物多様性機関(BIOVERSITY INTERNATIONAL・本部ローマ)により設立された国際機関。又、「ビル・ゲイツ&メリンダ・ゲイツ財団」もプロジェクトを支援している。GCDTのケアリー・ファウラー局長は「開発途上国のあらゆる農業的に有用な在来種・絶滅危惧種・原種などが収集・保存によって救済されると共に、地球規模の大規模災害に対する備えとなり、生物多様性の生きた記録になる。同時に、世界の貧困層が必要としている食糧の供給にも寄与できるだろう…」と述べている。そして田辺氏の作品「THE SEED〜MOMI」の発信するメッセージに対して大きな期待を寄せた。


f. 日本にこんな彫刻家が…


 田辺光彰氏は横浜市に在住。現在70歳。1991年から「現代彫刻による野生稲自生地保全プロジェクト」を作品制作のモティーフに据え、国際的に活躍している作家である。彼の作品の展示・収蔵場所を辿ると、さながら世界地図を広げるかのようだ。それはアジアの稲作地帯、国際的な農業研究施設、各国の国立研究所・美術館・博物館、更には国連機関にも及ぶ。代表的なものではIRRI(国際稲研究所・フィリピン)、タイ国立パトムタニ稲研究所、インド国立中央稲研究所、中国河姆渡遺跡博物館、台湾大学、FAO・国連食糧農業機関(ローマ)の作品が挙げられる。その多くが「SEED〜MOMI」シリーズであり、野生稲に特徴的な長い“ノギ”が際立った、荒々しい、生命力溢れる作品群である。素材としては、木・石・竹・鉄等が使われるが、何と言ってもステンレス鋳造の巨大なオブジェを3000℃の高温で操り、「アーク・エア・ガウジング」と呼ばれる手法で削り溶かした作品が秀逸である。種子本体に刻まれたゴツゴツとした凹凸 やノギに生えるトゲトゲは、野生稲が捕食者から身を守るための生存の武器であり、これを品種改良で取り除いて来た人類の叡智の足跡であり、我々の多難な未来を暗示する象徴でもある。

g. 農業・野生稲・生物多様性・自生地保全

 田辺氏が一般的な芸術家、彫刻家と異なり? 異彩を放つ? のは、モティーフに対する把握の広さと、深さである。「野生稲の自生地保全」という特異なテーマを掲げ、その見識は一線の研究者や専門家のレベルに達している。彼は「農業・食糧に利用される栽培稲を今後も人類が持続可能に利用たらしめるのは、野生稲の有する遺伝資源である…」と信じ、探求を続けてきた。その人脈・交流のネットワークは日本に留まらず、国際的にも著名な遺伝学者、品種改良の研究者にも広がっている。IRRI(国際稲研究所・フィリピン)の元所長・ランペ博士や国際的農学者・クッシュ博士は、今も田辺氏のよき理解者・サポーターである。
 田辺氏は「野生稲の自生地を保全することは、稲の豊かな遺伝資源を守り、そこに生存するあらゆる植物や生物を守る事。つまり、魚・昆虫・爬虫類・両生類etc.全ての生物多様性を根底から守る事に繋がる」と語る。そして3点を力説する。 (1) 「ファーマーズ・コンサベーション」=農業者による在来種保全、(2) 「インサイト・コンサベーション」=野生種等の自生地保全、(3) 「イクサイト・コンサベーション」=施設内の保全・貯蔵(一般のジーンバンク)の「3つが揃って初めて今後の生物多様性は守られる…」と語る。彼は果 敢に創作活動を行うだけでなく、実際に「自生地保全」の運動を訴え、実現のために行動する彫刻家だ。タイではシリントン王女に作品を贈呈する際に、直接この思いを訴える機会を得て王女を説得、“異例のロイヤル・プロジェクト”として、遂にバンコク郊外に12haの「プラチンブリ野生稲自生地保全指定地」を実現してしまった。その後、タイではこの取り組みが進み、全国6ヶ所にまで拡大(最大の指定地は100ha)。2009年現在も保全され、日本を含む世界の研究者の重要な研究フィールドになっている。

h. ドンキホーテと言われようとも…


 勿論、常に田辺氏の思い通りに作品製作と展示場所の選定が進む訳では決してない。氏が自らを「ドンキホーテ」になぞらえるように、時にその行動が滑稽なほど空転することさえある。「美大学生の頃から50年。世界50ヶ国を放浪し、辺境を歩き尽くした。そこでまず人間の多様性を身体に刻み込んだ。ノルウェーにも40年程前に訪れている」「歩んだ道は試行錯誤のイバラ道…その道が“ノアの方舟”の120mのトンネルに繋がった…」 田辺氏は“決して諦めない人”である。そして、アートを通 して我々の想像力を喚起し、人と人、人と農、人と食を結び付けて来た。
 食糧問題の多くは農業問題であり農学生命科学を軸に環境科学や人口問題にも関わる。飢餓や栄養不足問題は分配・経済・福祉・厚生に関する社会科学も孕む。
 その領域に芸術家である田辺氏が果 たす役割とは何か? インドの高名な農学者、スワミナサン博士は「食糧も農業も環境も、科学優先の狭い視点だけでは解決できない。本来こうした課題は人の心にまで根ざす広く深い領域であり、生物多様性に関しても文化・芸術を含む幅広いアプローチが求められている。だから田辺氏が果 たしている役割は非常に大きい。米を主食とするアジアの民にとって“SEED〜MOMIシリーズの作品群”は自らの生活と文化が表現される事に等しく、とても勇気づけられる思いだ。感謝している…」と語る。
 一般 的に彫刻家であれ、画家であれ、モティーフの探求については熱心であっても、完成後は依頼主の要望や美術館の方針に従うのが常だ…しかし田辺氏は「作品の設置場所」にも拘る。タイのパトムタニ稲研究所では「研究所のエントランス」という絶好のポジションへの誘いを断り、敢えて160haの広大な実験水田に野外展示する道を貫いた。「SEED〜MOMI」(野生稲をモティーフにしたシリーズ作品の一つ)は、異様なほど長いノギを有する長さ33m、重量 20tのステンレス塊。巨大な姿でアジアモンスーンエリア最大の稲作地帯に鎮座する。地元農民のランドマークであり、寡黙にして荘厳なステンレス鋳造のモニュメントだ。2008年には国連FAO(食糧農業機関・ローマ)内の国際機関、「グローバル・クロップ・ダイバーシティ・トラスト」の玄関ホールにも「SEED〜MOMI」が置かれた。

i. 2010年…生物多様性年に向けて


 現在、日本の農業が有している多様な植物の全ての種子・遺伝子(=食糧に直結)は、巨視的には「地球が46億年かけて育んで来た生物多様性」に立脚している。
 又、人類史レベルでは「多様性を土台にした、先祖のたゆまぬ 品種改良の苦闘の歴史的遺産」として存在する。農業は確かに経済行為であり、日々の生存の糧を生み出す重要産業しかし我々はこの一面 に終始し、土台となる大切な何かを忘れてはいないだろうか…行動する70歳。田辺氏は残る膂力を振り絞り、農業の持続と人類の生存を支えるための“生物多様性”に挑み続ける。オーストラリア大陸北部のダーウィン。氏は先住民・アボリジニ聖域委員会の賛同を得て自治区内の巨岩にハンマーを振るう。
 ローマにある国際研究機関「バイオ・バーシティ」本部では高名な農学者・エミール・フライソン所長から「米・野生稲だけでなく、是非、熱帯の重要農産物・バナナの遺伝資源にも注目してほしい。田辺さんの作品制作にはあらゆる協力を惜しまない…」との熱烈なラブコールを受けた。氏はバナナとの対話を開始した。
 世界各地で恒久展示される田辺氏の重厚・堅固な作品は、日本の農地で、食卓で我々に問い続ける。「今のままでいいのか? 大丈夫か? 生存できるのか?」と。
 そして氏の作品は、いつの日か遠い未来の子孫から逆に問いかけられるかもしれない。「この作品は誰が、いつ、何のためにつくったのか…」と。地球規模のインスタレーション作品群、「SEED〜MOMI」シリーズは当然、その問いに対し力強い、明快な返答を行うはずだ。今日の田辺光彰氏のように…。


前のページに戻る