1911年 ホセ・パロネラはスペインのカタロニア地方での貧しさから抜け出すために新天地オーストラリアにやって来ました。
 最初はサトウキビ畑の労働者として働いていたホセは、少しずつではあるものの着実に自分の財産を増やし、次第に土地の成功者となって行きます。
 1924年にホセは意気揚々とスペインに戻りますが、十数年間も手紙一つ出さずにほったらかしにしていた婚約者は既に結婚していました。そこでホセはこの婚約者の妹であるマルガリータと結婚し、二人一緒に再びオーストラリアに戻って来ました。

 貧しい農民の一家に育ったホセは、幼い頃から祖母に育てられたと言います。そして、祖母が話してくれたおとぎ話に魅せられて「何時か自分のお城を建ててそこで暮らしたい」という夢を見ていたそうです。
 オーストラリアに妻マルガリータと戻ったホセは1929年に現在パロネラパークが立てられている土地13エーカー(約16,000坪・東京ドーム1.13個分)の土地を購入し、夢であった『自分のお城』の建設に取りかかりました。

滝の右側のテラス状の建物が水力発電所跡
  

 一番最初に自分の家族が住むための家を建てた後、いよいよお城の建設がスタートしました。城は鉄道のレールを使った鉄筋コンクリート造りで、壁に塗られた漆喰には職人達の手の跡が残っています。
 建築に関しては素人同然のホセが、自分の手でこれだけの建物を造り上げたというのは、それだけでも驚異的な事ですが、1933年には現在のパーク入口脇の滝の水力を利用したクイーンズランド州最初の発電所を建設。1935年に一般 公開されると、毎週土曜日には劇場で映画が上映され、ミラーボールの光の中でダンスパーティーが行われる人気の高い社交場となりました。
 そしてホセの造ったお城には、楓、松、樫、胡桃など約7,000本もの木々が植えられ、イニスフェイルの人々はここで結婚式を挙げたり、さまざまな行事を行ったりしたそうです。

 ところが1946年、雨期で増水した川の上流から数多くの木々が雪崩れ込み、建物の大部分は破壊され、発電所も大きな損害を受けるという事件が起きました。
 ホセは一家で協力して城の再建に取り組み、ホセが1948年に癌で亡くなった後も妻や子供たちによって改築や修理が続けられました。しかし、イニスフェイル周辺の自然は厳しく、その後も度重なる洪水被害が城を襲い続けました。そして1979年の火災によって一般 公開は打ち切られる事になってしまったのです。
 そして1986年のサイクロン被害、1994年の洪水被害という大自然の力によってとうとう城は廃虚のようになってしまいました。

パロネラパークのメイン・エントランス
 
 1993年、現在のオーナーであるマーク&ジュディ・エヴァンス夫妻がこのホセの夢であった城を購入し、建物を再建するのでは無く、ホセ一家が残した遺産である熱帯雨林の庭園を活かした形で修理・管理を行う事を決めて、パロネラパークとして甦らせたのです。
 このパロネラパークは1997年に国定公園に指定され、現在では多くの観光客が訪れ、集会や結婚式なども行われているそうです。
 2006年3月。過去と同じ様にパロネラパークはサイクロンによって大きな被害を受けましたが、生命力に溢れる熱帯雨林の植物は数年で元の姿を取り戻すに違いありません。
 そしてオーナーご夫妻の情熱によって、この幻想的な空間が後世に引き継がれて行くことを心から願っています
このページの内容は、日本語解説書とガイドであるピーターからの話しを私なりにまとめたものです。

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