Smith & Wesson:Model 2 Army Marushin k.k.
 1852年に、ホーレス・スミスとダニエル・ウェッソンの二人が設立した『スミス&ウェッソン:Smith & Wesson(通称S&W)』は、コルト社と並んで現在でもアメリカ最大規模の銃器メーカーである。
 コルト社のM1861 Navy のページでも書いたが、それまで一般的な拳銃は、シリンダーに粉の黒色火薬を入れ、その後から鉛の弾を込めるタイプであったが、フランス人のフロベールが1847年に発明した金属薬莢に関する特許を買い取って拳銃の開発に取り組み、後のウィンチェスター社のライフルと同様の、レバー操作で装弾を行うボルカニック・ピストルを発表しているが、1854年には一度倒産。翌1855年に会社の再建を果 たし、1957年に世界で最初に22口径の金属薬莢を使った装弾数5発の拳銃『Model1』を発表した。

 この金属薬莢を使用したModel1 は、装弾の取扱いの良さで評判が良かったが、口径が小さいため軍では採用されなかった。そこで1861年に発表されたのがこの『Model2 Army』である。
 32口径で、装弾数が6発となり、フレームに鍛造鉄を使用する事で強度も高まり、発表の年に勃発した南北戦争では数多くの兵士が護身用として使用したというが、Army の名が付いているにも関わらず、コルト社のパーカッション式の銃と比べて口径が小さかったので、軍では正式採用されなかったという。
 この Model2 の装弾方法は、Model1と同様の フレーム下部のラッチを引くことで、バレルが上側に折り曲がるチップ・アップという構造で、シリンダーが簡単に取り外せる。また、バレルの下にある棒状の部品は、シリンダー内の使用済み薬莢を取り出すためのイジェクター・ロッドである。
 銃本体が上方向に折れ曲がるチップ・アップという構造になっており、簡単にシリンダーを取り外す事が可能。
 


 写真は、モデルガンやガスガン等の他にも、金属製の戦闘機や建設機械のスケール・モデルのメーカーであるマルシン工業株式会社のモデルガン・キットを組立てたものである。
 昔ながらのシンプルな銃なので、組立てに関しては何も問題が無いつもりで作業に掛かったが、何本かのピんを嵌め込む作業ではかなり苦労をした。また、一通 り組み立てた後で良く見てみると、整形時のバリがあったりしたため、一度大まかに分解して電動ツールでヤスリ掛けをした後、トイガンのカスタムを手掛けるキャロムショットの専用塗料を使って、時間をかけて塗装を行った。

 この銃は、映画やではあまり登場しないが、日本では坂本龍馬が使っていたとされている。
 坂本龍馬については、説明の必要など無いと思うが、その所持していた拳銃に関しては幾つか説があるようなので、ここでは『高知県立坂本龍馬記念館』の情報を元に書かせて貰う。
 龍馬が始めて手にした拳銃は、写 真の Model 2 Army であったと言われており、慶応元年(1865年)に高杉晋作から贈られた。そして、翌慶応2年の1月24日に京都の池田屋で襲われた時に、5発を発射して難を逃れたとの事である。またこの折に怪我をした手で装弾しようとしたのか、シリンダーを取り落とし、銃そのものも紛失したそうである(慌てていれば確かに落としそう)
 その後、お龍と結婚して鹿児島へ保養に出かけた(日本初の新婚旅行とか?)時には、紛失した Model 2 Army に代って、夫婦揃って Model 1(1/2) を所持していたそうである。そして、慶応3年(1867)に京都の近江屋で襲われた時にも、この銃を所持していたようだが、その時は銃を使う間もなく亡くなったそうである。

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