4日間過ごしたザルツブルクを離れ、バスでウィーンに移動の日となった。
 バスは、まずザルツブルク北部の町オーベルンドルフに向う。ここは「きよしこの夜」の発祥を記念した記念館が建てられている。



 オーベンドルフの「きよしこの夜」記念館。
写真右は、この記念館横の土手を上った所からの志村先生推薦の風景。ザルツァッハ川の対岸はドイツ。

 誰もが知っている讃美歌「きよしこの夜」は、1818年にこのオーベルンドルフの聖ニコラ教会で誕生している。
 クリスマス・イブの日の朝、突然壊れて音が出なくなってしまったオルガンの演奏の代わりに、助任司祭のヨゼフ・モールが詩を書き、オルガン奏者のフランツ・グルーバーが曲を書いて、ギターの伴奏で二人自身の歌と子供達の合唱で歌われたという。
 その後、楽譜を持ち帰ったオルガンの修理職人により曲が広まり、一時は「作者不詳のチロル民謡」として紹介されていたそうだが、作曲の由来が知られるようになったのは、ずっと後の事。
 今では聖ニコル教会は残っていない。我々は1937年に記念に作られた礼拝堂に入り、全員で「きよしこの夜」を合唱した。

 オーベルンドルフからバスはリンツの聖フローリアン修道院に向う。
 この修道院で昼食となったが、体長20cm程の川魚がまるまる1尾皿に乗って登場。味は悪くはないが、やはりボリュームが多い。
 食事後、修道院の内部を見学する。



完成まで何年もの年月が費やされた建物は、色々な建築様式が混在している。

 内部でまず見学したのは図書室。
「静粛に」と言われていたが、部屋に入った瞬間皆の口から思わず歓声が上る。
 映画「ハリー・ポッター」やディズニー・アニメ「美女と野獣」に登場した様な、壁一面 にギッシリと本が詰まり、まるで立体に見える「だまし絵」の天井画を配した図書室に、一同圧倒された。

 次は大広間。ここで舞踏会なども行われたという。


 大広間を出て、長い回廊を進み、皇帝が使っていたという部屋に入る。
 壮麗な作りではあるが、設備保護為に部屋の中は薄暗く、空気が澱んでいる。人が生活していれば良いのかもしれないが、庶民にとってあまり暮らしたい雰囲気ではない。
 この修道院の教会では、作曲家のブルックナーが聖歌隊で歌い、12年間オルガン奏者を務めていたという。
 そのブルックナーの遺言で、地下の納骨堂で、オルガンの真下に収められている彼の棺を見て教会の内部に移動する。

 教会ではパイプ・オルガンの小コンサートが始まる。
 ブルックナーが弾いたというオルガンの音が、建物の中に響き渡る。



教会入口の上にあるパイプオルガン。このオルガンの真下の地下に、上の写真にあるブルックナーの棺が納められている。

 志村先生から、たった今聞いたばかりのオルガンの演奏の説明を受けながら、再びウィーンに向かう。
 修道院で有名なメルクの街を抜け、バスはドナウ川に沿ってヴァッハウ渓谷を走る。
 そして、途中シュピッツの街で一旦バスを降り、ここから遊覧船に乗り込み「ドナウ川下り」の旅となる。

 我々が乗船した遊覧船は、レストランとなっている室内はガラガラだったが、甲板は人でギッシリ。とても優雅な船旅という訳にはいかなかった。
 船着き場近くには、対岸へ向う渡し舟があり、写真右下のお宅の壁には、ドナウ川が氾濫して時の水位 が書かれていた。2002年の水害はテレビでも見た記憶があるが、記された位置を見ると、大変な事だったのだと思う。(ポイントを写 真の上に持って行くと拡大します)

白と青の鮮やかな塔が美しいデュルンシュタインの教会。この船着き場で大分お客が降りて少し空いた。

ヴァッハウ渓谷の東の玄関口、クレムスの街並。

 クレムスの街で下船。そこまで先行していたバスに再び乗り込んで、いよいよウィーンの街に入る。
 ホテルにチェックインして、全員がホテルで夕食。
 大人しく就寝した。


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